錦織寺は、親鸞聖人が嘉禎元年(1235)に関東から京都へお帰りになる途中お立ち寄りになり、みほとけの法をお説きになったゆかりの地です。
この地はその昔天安2年(858)比叡山三代座主慈覚大師の御指示で御堂が建てられ、毘沙門天王の像が安置された所です。 寺伝によると、この毘沙門天王のお告げを承けて親鸞聖人がこの御堂にお立ち寄りになったとろ、地頭石畠氏をはじめ近在の人々の懇願に応じてしばらくご逗留なされてお念仏の法をお説きになったということです。
ときには田植えする農民たちに「光明遍照」の経文や御自らおつくりになった讃文等に節をつけた田植え歌をもって教化なされました。それ以来、親鸞聖人のみ教えの流れを汲む真宗木辺派の本山として今日に至っています。
当派は、親鸞聖人のご足跡を残す唯一の御本山です。
当派の御門主 木邊円慈上人は第二十二代の法燈を平成二年(1990~)年に継承され、今日に至っております。
前御門主 宣慈上人(1969~1990)は、法務の傍ら天体望遠鏡の反射鏡を作る余技を 持たれ、天文学会においても「木辺レンズ」として高く評価されました。
先々代(第二十代)御門主孝慈上人(1896~1969)は西本願寺 明如上人の次男で 明治二十九年に錦織寺に御入山され、戦争前後の激震時代に大日本仏教会の代表として 宗教法の成立にまた、自派の宗勢拡大に多大の功績を残され、大興上人と御呼び致しております。
主たるお堂としては元禄十四(1701)年に再建された県指定文化財の御影堂、天保2(1831)年再建の阿弥陀堂、聖人が御逗留 され、文久元(1861)年に再建された天安堂(毘沙門堂)、東山天皇より拝領の「御常の御殿」 等々、元禄七(1694)年の火災で全焼後逐次諸堂が再建され今日に至っております。