天安堂に安置されている毘沙門天王は、伝教大師最澄が比叡山を開かれる際に、東塔北谷にあった霊木を 以て作られたもので、鞍馬寺の毘沙門天王と同木同作の霊像であると伝えられております。
その後、比叡山三代目座主、慈覚大師 円仁の時代、慈覚大師は、夢中にて
「江州野洲の郡に 一夜に松が生えているところがある。そこへ私を移して欲しい」
という毘沙門天王のお告げを受けました。
そこで、弟子に命じて探させたところ、この地に一夜にその高さ八尺あまりの松が生えたことを知り、 天安2年(858年)、慈覚大師はここにお堂を建てて、毘沙門天像をお移しになられました。
このお堂は、天安年間に建立されたので天安堂と称しております。
それから三百数十年後、親鸞聖人が関東から京都に還ろうとされた途中に、この天安堂に歩みを留められました。(1235年聖人63才)地頭の石畠氏(那須氏の一族)をはじめ、近在の人々が聖人のお通りを伝え聞いて馳せ参じ、ご滞在を乞いました。
聖人は笈におさめて常にお持ちになっていた阿弥陀如来の御尊像(茨城県の霞ヶ浦の湖中より得たと伝わり、関東にもその伝説が残っている)を安置されて浄土真宗の教えをお説きになりました。この時から浄土真宗の湖東における中心になりました。
また、この松とお堂の周辺に人々が住み木辺村と称し、現在は木部と書いております。